伯母捨の里を訪ねて

 新宿からバスに揺られて3時間。長野駅に到着した私たちは、篠ノ井線へと乗り換えた。向かうは姨捨駅。幸い天気にも恵まれた。車窓から秋の柔らかい光に包まれた風景を追い越しながら、子どものようにはやる気持ちを抑えられずにいた。

 能『伯母捨』や棄老伝説の舞台となっている「姨捨」は、千曲市大字八幡に位置する。1999年に棚田として全国ではじめて国の名勝に指定された地域である。48枚の棚田1枚一枚に月が映る様を「田毎の月」といい、2010年には農林水産省により重要文化的景観にも選定されている。その素晴らしい景色は車窓からも充分堪能出来、日本3台車窓の1つともなっている。

 電車がスイッチバックをはじめると、いよいよ姨捨の駅名標が眼に飛び込んできた。「わぁ!」と勢いよく電車を飛び出す。幾重にも広がる棚田、千曲川、それらを縁取る善光寺平。すぅっと澄んだ空気を身体一杯に満たした後、早速姨捨探索へと出発した。

 わがこころ 慰めかねつ 更科や 姨捨山に 照る月を見て

古今和歌集より

 この和歌に詠まれている「姨捨山」とは一体何処を指しているのだろうか。現在「姨捨山」とされている場所は、2ヶ所存在するそうだ。1つは冠着山(別名姨捨山)。もう1つは長楽寺境内にある「姨石」を含む周辺一帯の山地である。私たちはまず、駅から徒歩10分程にある長楽寺を目指した。下り坂を歩いて行くと、謡曲史跡保存会の立て札を見つけた。書かれている文章を読むと「老女が消えた桂の大木は長楽寺の境内にあります」とある。「夕蔭の木のもとにかき消すように失せにけり」と前シテ(里の女)が消えた木が長楽寺の桂の木だとすると、『伯母捨』の舞台は長楽寺なのだろうか?今見る限りでは、棚田や畑に囲まれた豊かな土地の印象なのだが、昔は寂しい場所であったのかもしれない。

 長楽寺を訪れてまず驚いたのは、句碑、歌碑の多さだ。月の名所として松尾芭蕉をはじめとする多くの文人墨人に愛されてきたことがよくわかる。さらに歩を進めると異質なまでに大きな石が目にとまった。石というより岩といった方が適切ではないだろか。これが「姨石」である。その名前の所以は「老婆がこの石から身を投げた。」、「捨てられた老婆が悲しみの余りにこの石となった。」といった説があるようだ。仮に「姨石」を「姨捨山」に見立てるならば、後者の逸話は能『伯母捨』の終曲部の詞章「ひとり捨てられて老女が昔こそあらめ今もまた伯母捨山とぞなりにける。伯母捨山となりにけり。」と重なるように思う。1人取り残された老女が山と融合し、その身も魂も土へと還れるようにと願わずにはいられない。「姨石」は高さが約15メートルあり、頂上からは善光寺平を一望できる。ここからの月の眺めも別格であるそうだが、自分たちだけの月見場所を見つけ出そうと、長楽寺を後にした。

 鈴なりの林檎畑の甘酸っぱい香りに誘われつつ辺りを散策しているうちに日が翳りはじめた。私たちは、棚田の一番高い所へ腰を落ち着かせ、ゆっくりと月の登場を待った。残念ながら空が雲に覆われ、はっきりと月の形を確認する事は難しかったが、雲の切れ間から放つ月の光の強さに心を打たれた。

 翌日、冠着山へ登った。冠着山は、国土地理院の地図にわざわざ括弧書きで姨捨山とも併記されている。神代の昔、「天の岩戸」を背負って天翔けてきた手力男命が、美しい峰にひかれてここで一休みし、冠をつけなおしたという伝説から冠着山の名前がついたそうだ。手力男命が心をひかれるのも頷ける。標高12502メートルと小ぶりであるが、整った三角の形が美しい山で、信州百名山にも選ばれている。登山口まで車で行くと、そこから30分程度で頂上に到着する。登山初心者には有難い山だ。赤や黄色に染まった木々の葉が山に彩を与える。肌寒い日であったが、急な山道を登り続けると直に身体が熱くなった。

 「更科や姨捨山の月ぞこれ」頂上に着くと、さっそく高浜虚子の句碑が迎えてくれた。光に眩しく輝く草木を見、ふとこの山の夜の姿を想像してみる。朧げに遠くの街の光が見えるだろうか。頼れるのは月の光だけだろうか。昨日の月のように力強い光で導いてくれたら闇への恐怖も和らぐだろうか。山にただ1人捨てられる孤独感、絶望感を計り知ることが出来ない。

 姨捨を含め、日本全国で実際に棄老が行われていたという記録は無いそうだ。伝説はあくまで伝説にすぎない。しかし、その伝説と月の名所が混ざり合い、能『伯母捨』をはじめとする数々の芸術作品を世に生み出した。「姨捨山」と想定される二ヶ所を巡り、私のイメージと馴染んだのは冠着山であった。これも訪れる季節や心境によって見方が変わるのかもしれない。そんな事を思いながら、再び姨捨駅を目指し下山した。5時間程歩いただろうか。お腹を空かせた私たちは姨捨駅周辺に一軒しかない蕎麦屋へ入った。「いらっしゃいませ。3人様ですね。」お店の方が迎えてくれた。私たちは2人だったので、見間違えたのだろうと思いつつ席に着いた。すると、お茶とおしぼりを3つずつ持ってきて、3人目?の場所へ置こうとするのだ。2人である事を告げると、不思議そうな面持ちで3つ目を片付けてくれた。知らぬ間にどなたかとご一緒していたのだろうか。それが捨てられた老女だったら・・・と想像すると今でもわくわくしてしまう。私はまた姨捨を訪ねるだろう。

今回取材に同行してくださった林美佐氏にお礼を申し上げたい。

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