鏡の間にて舞台の出を待つ。装束も面も完璧な状態だ。しかし、私は自分の舞う曲を知らない。囃子の演奏が始まり、幕が上がる。いざ舞台に出たものの謡が一句も出てこない。そもそも曲がわからないのだから当たり前である。呼吸が早い。見所の視線が矢のよう一斉に体に突き刺さる。刺さった箇所からは冷たい汗が吹き出、滴り落ちる。膝がカクカクと笑い出す。心臓は爆発寸前だ。
久し振りの悪夢に憂鬱な朝を迎えた。質の悪い生クリームを大量に食べ、消化不良を起こした時のような不快さだ。珈琲を淹れる為にお湯を沸かしながらふと思った。考えようによっては瑞夢といえるのかもしれない。ここの所公演の中止や延期が続き、舞台に立つ機会がないからだ。舞台は日常生活の延長線上に存在する。その日常さえままならない今の私たちにとって、舞台は遠い存在となってしまった。これまで私達が送っていた日常とは、自由で贅沢なものだったのだ。やりたいとさえ思えば大概のことは何でも出来た。時には煩わしいと思う人間関係だって、相手がいなければ煩わしいと思うことさえ出来ない。日に数度、ほんの一、二分程度だが自分がこれまで粗雑に扱ってきた日々の一コマを振り返る時がある。再びあの生活に戻れたなら今度こそ大切に時を重ねていきたい。大切に重ねた日々から続く舞台はもっと特別で輝いた場所となる筈だ。
私にとって舞台とは「恐怖」であると同時に「生」を体の底から感じることの出来る唯一の場所だ。自分の至らなさに直面し、能力不足を露骨に突き付けられる。そこから生まれる焦り、不安、羞恥心といった負の感情に飲み込まれることも少なくない。けれどもそれら全てを含めて「今、自分は生きている。」と実感する。生きる喜びに溢れた特別な場所なのだ。